『一九八四年』ジョージ・オーウェル

戦後すぐくらいに書かれた、全体主義によって管理された社会を描いたディストピア小説。SF、SFぅ!
あらすじ。
1950年代に起こった核戦争により、異なる歴史を歩んだ世界。世界は三つの大国に分割され、それぞれが徹底した国民の監視、思想統制により管理された全体主義社会を構築していた。
主人公のウィンストン・スミスは三つの国の一つ、オセアニアの党員であったが、常に過去の歴史を都合のいいように改竄し、楽にならない暮らしぶりを嘘の情報でごまかし続ける党のやり方に不信感を抱いていた。
ある日彼は、自分と同じように党に服従しない生き方をする女性、ジュリアと出会った事で、党に反目する人生を歩む決意を固めた。のだが。
感想。
発想が怖い。そして生々しい。
単純に国民を頭から抑えているわけではなく、行き先を前もって潰して一方向にしか進めないように管理するやり方。拷問だのなんだのより、徹底した歴史改竄やら二分間憎悪やら「よくこんなこと思いつくな」と言うような工夫のオンパレードで、特にニュースピークの残虐性には震えた。これが反螺旋力、アンチスパイラルか。
好きな場面は、中盤のジュリアとの逢瀬のシーン。なんと言うか、優れたSFの条件は「その世界特有の空気を作り出すこと」だと思っていて、1984年はその点、管理社会の閉塞感やら未来の無さを臨場感たっぷりに伝えてくれていた。そういう空気が見事に出来ているので、主人公とジュリアがイチャイチャするあたりの反社会的行為感が鮮明になっていて印象的だった。野外プレイは燃える、と言うことか。ちょっと違うか。
あと、一○一号室の下りも普通に好きです。ジョジョっぽい。


追記。
ちょっとwikipediaだったか思い出せず出典が定かではないんだけど、『オーウェルは戦後あたり、若者たちが使う自国の英語が乱れているのを憂いた』と言う記述を見かけてちょっと笑った。それでニュースピークにたどり着いたのだとしたら、発想が『もったいないお化け』と言うか頑固爺さんと言うか。隆慶一郎を思い起こさせるいい話だ。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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