『スローターハウス5』カート・ヴォネガット・ジュニア

前に読んだ「あなたの人生の物語」の、元ネタであるらしい作品。某所でベタ褒めされているのを見て以来、是非読みたいと思ってはいたのだけど何故かどこの書店にも置いてなくて、ブックオフで見かけたのを泣く泣く購入。「まあ、いいか。作者の人死んでるし。そういうものだ」とか、そういう本の購入スタイル。

ここ二ヶ月でSFを何冊か読んでいて、それでようやく気づいたのがSFの文章の良さの理由。翻訳家の人たちは自分で内容を考える必要は無いので、その分いい文章を書くことに労力を回せる、と言うことだった。漫画における、原作と作画が分かれてるタイプと同じだ。
ただ、本作における描写された情景を喚起させる力は、おそらく翻訳家ではなく、作者の文章の力であろうと思う。時間の概念が曖昧になる時間旅行者である主人公の視点から描かれた世界は、一点一点が絵画や、映画の切り抜かれた1シーンのような鮮明さを持っていた。
舞台は主に第二次大戦時のドイツで、作者も体験したと言うドレスデン無差別爆撃に焦点を置いている(作者も時々出てくる)。ドイツ軍の捕虜になった主人公ではあるが、決して陰惨な体験を克明に描くような、そういう類の話ではない。それを起点とした、一人の男(作者なのだろう)から見る世界の荒涼さ、一人の男では、決して全容を見渡すことが出来ないどうしようもなさ、火の通った無力感みたいなものが描かれた作品だった。諦めと、激情が入り混じったとき、作者は静かにこう呟く。「そういうものだ」と。

最初この、「あらかじめ知っている未来を、いつの時であっても選択し続ける」というシチュエーションを聞いたときは、当然のように「プッチ神父!天国!」を連想して体温を上げていたのだけど実際読み終わってみると若干違うよなあ、と言う気がしている。「そういうものだ」と「覚悟」の間にあるものを理解するために、もう一度読み直してみようと思う。今度は、作中に何回「そういうものだ」が出てくるのかを数えながら。