それでも僕はやってない 感想2

注意:取り消し線の入った文章は、作品に関する重大なネタバレを含みます。


  • 第二の感想

冒頭で描かれるシーンに、実際に痴漢行為を行った男が刑事に対して「痴漢をやりました」と自白して、その日のうちに留置場から出ると言う物がある。
対して、「痴漢をやってない」と答えた主人公は仮釈放まで半年近く、留置場から出ることが出来なかった。

途中に、主人公と同様に痴漢の冤罪を掛けられた人物が登場する。最終的に無罪とならなかったその人物に与えられた刑罰は「懲役四ヶ月」であった。主人公の場合でも、罪となった場合に与えられる刑罰は同様のものだろうことは、この時点で予想がつく。

その「懲役四ヶ月」を無効とするために、主人公たちが戦った時間は、一年近くにも上る長いものだ。この事実はなんとも寒々しく、虚しい。


そして、その事実を受け入れてなお、主人公は戦うことをやめなかった。どう考えても、「やりました」と答えたほうがよっぽど楽で、リスクも少ないのに。それは何故か。



おそらくそれは、プライドの問題だ。


主人公や我々は皆、一つの共同社会の中で生きている。
その社会ではいろいろなことがある。辛いことや、怒りを覚えることや、不快に感じる様々な事柄だ。そう言うものを、社会に参加する者の義務として、乗り越えていかなければいけない。
そんな物に立ち向かっていく時に、必要な物が自分自身に対する『プライド』なのではないか。
もしその中で、『お前は痴漢をするようなしょうもない人間だ』と社会に突きつけられたとしたら、はたしてその社会で生きていけるだろうか。


「俺はそんな人間ではない。俺は俺の出来るなりに、社会の中で戦っている。生きているのだ。『痴漢』などと言うレッテルをその社会から与えられては、俺は一体何を支えにして、ここで生きていけばいいのだ」


無実を主張する主人公からは、そんな叫びが聞こえてくる気がする。社会で生きていくため、彼はレッテルと戦い続けなくてはならない。






最終的に彼に与えられたものは、彼のプライドを打ち砕くレッテルだ。そして彼は、控訴することでさらに戦い続ける道を選んだ。この先は、今まで手を差し伸べてくれた人々も、徐々に彼を見限っていくだろう。それでも、彼は戦うことをやめるわけにはいけない。戦うのをやめた時こそ彼は、社会で生きていくことが出来なくなってしまうだろうから。