『Yの悲劇』 エラリー・クィーン

1年前に友人に借りていたのを今さら読了。
エラリー・クィーンは読んだことがなかったが、『読者への挑戦状』の人だと聞いていたのでそれを楽しみにしていたら挑戦状は無かった。まあ、多分そのうち挑戦状の入った奴も読むだろう。
と、言う訳で、内容は歴史に名が残るのも理解できる感じで傑作。なるほどなあ、と。ミステリー読みながら背筋が凍るような気分になったのは久しぶりだった。

それはそれとして残念なのが、この小説のオチが、自分が今この世で最も嫌っている展開だったこと。丁度前回、そんな感じの記事を書いたばかりだったので、読み終わったときはかなり複雑な心境に陥った。この小説には褒めるところしかないけれど、認めるわけにはいかない、みたいな。

ネタバレになるので、隠す。









自分が物語的な物のテーマで、最も愛しているのが『成長の話』と『自分の過去とかトラウマとかに決着をつける話』である。後者の場合は大抵、成長しないと決着がつけられないことが多いので結局のところ前者にまとめられる気がするが。
なので、子供が悪いこと(人殺しとか)して、その上でそれを反省することもなく自分も死んでしまったりする話が心底憎い。成長こそが何よりも尊いものだという意識があるため、その成長の機会を永遠に奪い取る行為は実話だろうが創作だろうが嫌な気分になる。NO自殺。

ただ、これはミステリなので、そういう考え方自体ナンセンスだと言うのも当然わかっている。読者を驚かせるためなら子供に殺させるのだってアリなわけで、その辺は仕方ないというか文句を言う方がおかしい。

結局この『Yの悲劇』は、自分が自分ルールに縛られてしまってるからちゃんと楽しめなかったと言うことなわけで、勿体無いよねなわけだが。自分ルールを捻じ曲げるほどの創作原理主義者じゃないと言うのはがっかりすべきなのかなんなのか。

色々と苦い気分になったけど、まあ、他のドルリー・レーンシリーズは読む。そのうち。こんな思いをするのは、多分この一冊だけのはずだ。